あれから9年です
ひさしぶりの投稿です。
今日は東北大震災のあった日、画像は震災の直前に気仙沼のお客さまに送ったものです。
当時のおいらはサラリーマンで中間管理職ながら、ストレスと気の合わない同僚と過ごす毎日でした。その日のその時間、おいらは気の合わない編集者と打ち合わせの真っ最中でした。1分間程度気持ちの悪くなるような長い揺れ…何かあったのかも全然わからずに打ち合わせを終え、しばらくして社長室のテレビを覗き込むとそこには高速道路が壊れ、信じられなような高さの水が押し寄せている様子が映し出されていました。日本で何が起こったんだ?しばらく食い入るように見ていて、はじめて東北で地震があったことを知ります。その瞬間、お客さまは大丈夫か?勤め先を知っていたので慌ててネットで気仙沼を地図検索。
地図に映し出された勤務先は海のすぐ近く、送ったものが依頼主さまと共に流されている悪いイメージが脳裏をかすめます。すぐにメールを送りましたが全然返ってきません、もちろんです。その当時はライフラインはもちろん、ネットすらもまともに使える状態ではなかったのですから。その後、1週間ほどして返信があり、無事を確認。すぐに必要な物資を送りましたが到着には相当の日数がかかったことを覚えています。
この地震をきっかけに自分の気持ちも大きく変わります。
「こんなとこで腐っている場合じゃない。1度きりの自分の人生、後悔しないように生きていこう。」
そのころ、部下だった今の相棒と独立を画策し始めます。そして半年後、その相棒は1人で独立、今の職場の礎を築いてくれました。そしてその年の12月、会社に内緒で自費出版の冊子「季節誌しずく」を発行しました。3号目の発行前に立ち寄った飲み屋である会話から、震災時に打ち合わせをしていた同僚の編集者にかぎつけられてしまいます。
「このままでは会社をクビになる。その前に辞めよう」
2012年7月、おいらも会社を辞め、相棒のいる今の職場と2つのバイトを掛け持ちして約2年、母と奥さん、まだ中学生と小学生の3人娘を養っていました。その後、前の会社を先に退職していた同僚から声をかけてもらったことでバイトをやめて今の職場の代表として現在に至ります。
コロナの影響でここ1ケ月ほど売上が伸び悩んでしますが、こんな時期もあるさっと少し余裕ももてるようにもなりました。
一方、前職場は業績不振、人員も削減され当時から出入りしていた業者に吸収され、その会社の子会社になったと風の噂で聞きました。あの時、地震がなければ自分の人生も大きく変わっていたんだと思います。
直接的な被害はなくても、こんな風に感じ行動できた自分にもっと自信を持って生きていかないといけないと思います。
「思えば、信じれば自分の人生は変えられる」
これからももっと前向きに自分の未来を想像し、切り開いていける人になりたいと思います。
感謝を忘れず、これからも生きていこうと思います。
3.11によせて
革工房さんた 山田政嗣
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